10月31日はいきいきウオークに参加してランブリング。
mokichiさんが一緒に歩いてくださった。
指定されたところでクイズに答えて楽しむ5km。雨もたいしたことなく満願。予定された中で初めてだったのは、「蓮如上人お指図の井」。番外を加えた。a「人康親王墓」、b「琵琶琴元祖四宮大明神」、c陶器の祠に祀られている「前出地蔵尊」、d光照寺。
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| 十禅寺境内から |
10月2日はポタリング
山科本願寺南殿跡が若宮八幡宮の辺りにあると聞いていたので向う先はまずお宮さん。大津皇子の宝篋印塔がありました。区民の誇りの木に選定されたカツラ。実がなっていたので雌木です。
大津皇子は天武天皇(大海人皇子)の息子で万葉歌人。よく似た名の大友皇子は天智天皇の息子で、大海人皇子と皇位を争った人物。
探し当てた山科本願寺南殿跡は発掘調査中でした。技師に訊ねました。「そもそも埋蔵される要因は何でしょうか。火山灰が堆積したからとは思えないんですが・・・」と。答は、「井戸を掘った土、火災の跡の整地、土塁の堀を掘ったときの残土などを盛った人為的要因。もちろん大阪のように自然現象による場合もあります」と。ガッテン!
帰宅後、遺跡は、なぜ地下に埋もれているか?を調べるのが面白い。何が埋もれているかより、どうして埋もれたのかである。
法巌寺の里坊を見っけ!
人康親王を祀る社が近くにあったはずと京阪四之宮駅に向かう。住宅街に入りちょうど出会った方にお尋ねしたところ、わかりにくくなったのでと案内してくださった。確かに案内してもらわないとたどり着けない琵琶琴元祖四宮大明神でした。地域では「目の神様」と慕われているんですって。
三体のお地蔵さんも。浄財は弦楽ふるさとの会にと案内されていた。
次に向かうは人康親王が開山の十禅寺。帰宅後お寺のことを調べて親王の娘が摂関家の藤原基経の正妻と知った。そして今上陛下に繋がるとも。当然光厳さんにもつながる。
四宮地蔵を祀る徳林庵にある宝篋印塔は蝉丸と人康親王の供養塔。手水鉢に日通のロゴは「はてな?」。これは通称「丸通」とよばれ、 元々江戸時代の飛脚たちが書簡や荷物を運ぶ時の通行証に使っていた印らしい。 明治になり飛脚たちは日本通運の前身になる「内国通運株式会社」を設立。 その時にこのマークをロゴにした。現在、日通のマークの起源とのこと。
人康親王の陵⇒諸羽神社のさわり石(虎石)⇒蓮如上人御廟所⇒山科中央公園の寺内町の標示板⇒史跡山科本願寺跡公園⇒山科本願寺跡の石柱⇒山科本願寺土塁跡南西角の標示板。
最後の標示板はバス停「オチリ池」のそば。この辺りに昭和30年ころまで池があったとのこと。
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| NETから拝借 |
【帰宅後、調べた産物】
二上山に登ったとき大津皇子の墓前に立ったときのことが思い出される。
人康親王は法性という出家後の僧名があることから学識的にも認められる人物。母は藤原沢子、兄が文徳天皇、甥に清和天皇。娘が藤原基経の正妻となり、忠平、師輔、兼家、道長と続く。
人康親王の娘は今上天皇の直系祖先
日通のロゴのことの出処
昭和30年ごろに撮影された「オチリ池西畔の道」の写真のあるページ。このページで『モノクローム ヤマシナ~未来へつなぐ山科の記憶』を知った。昭和30年頃の記録なら、昨日読んだ山梨県笛吹川流域の広瀬地区の山村の暮らしを伝える「村と森林1958」が重なった。この偶然がなんとも不思議。




































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