「トンボのメガネ」の例会が会下山にて

兵庫区役所前でブリーフミーティング。

そこに阪神淡路大震災までは聖徳太子の銅像が乗っていた、「聖徳太子騎馬像」があった。大正時代から昭和の初めの兵庫では、聖徳太子は身近に広く慕われていた。篤志家の岡田磯八氏が大正10年に寄贈したもの。そばに史蹟旧湊川址の碑を目にした。今日のコースに湊川隧道が予定されている。

まず向かった先は牧野富太郎の植物研究所跡。そこで、ハマカンゾウ、コムラサキ、オカメザサ、スエコザサ、クロガネモチ、オトコヨウゾメ、キョウチクトウの実、ナツツタなど見た。

 「クスノキ科の薄緑色の実は花被片の盃型の筒の部分を台にして丸く膨らむ」と、読み解くんですって。三行脈が専売特許ではありません。

善光寺に平業盛(ナリモリ)の塚があったが気にする人まことに少なし。
繁茂するヤハズソウは葉をちぎって納得。

大楠公正成本陣跡で昼食。湊川の合戦を誰も口にしない。時の移りをひしひし感じた。過去に思いを馳せる。「建武2年(1335年)1211日、後醍醐天皇に叛いて武家政権の樹立を目指す足利尊氏は、延元の乱で新田義貞を破り、翌年の1月、京に攻め上がったが、その隙をついて北畠顕家が尊氏不在の鎌倉を占拠すると、そのまま尊氏の後を追い西上、尊氏軍を撃破。さらに豊島河原・打出浜の戦いにも敗れた尊氏は、海路九州へ敗走するが、その後、多々良浜の戦いに勝利して体制を立て直すと、光厳天皇(北朝初代天皇)を奉じて東上を開始。これを迎え撃つため、楠木正成は京を発し、524日、既に新田義貞が布陣する湊川に着陣し、ここ会下山に本陣を布く。楠木勢の総兵力は、わずか700余りだった」と。石碑の揮毫は東郷平八郎元帥。

 殻斗に包まれたスダジイの実!

スダジイは花が咲いた翌年の秋に長さ11.5㎝程度のドングリができ、全体が殻のようなもの(殻斗)で包まれている。熟すと殻斗が3裂してドングリが現れる。ドングリはマテバシイより灰汁(タンニン)が少なく食べやすい。実の色や形を見比べるのを秋の楽しみの一つにしている人もいる!

 今更ながら花の部位の名称(両性花)の復習。

 花弁ははなびらのことで、一つの花に何枚かあり、これらを全部まとめてみたとき花冠(カカン)と言う。スイセンなどでは花冠の内側にもう一つ副花冠(フクカカン)という花冠によく似たものがある。萼片(ガクヘン)は一つ一つの片を指す言葉で、全体をまとめると萼と呼ぶ。包(ホウ)は花やつぼみをつつみこむような構造物のことで、萼とは違う。雄しべは葯(ヤク)という花粉を入れるふくろと、花糸(カシ)というそれを支える柄からなる。雌しべは花粉がつく柱頭(チュウトウ)、中に胚珠(ハイシュ)という将来種子になる部分を持った子房(シボウ)、それをつなぐ花柱(カチュウ)からなる。

そびえたつ海員萬霊塔は海運業で事故にあった方の慰霊碑。建立は日本郵船をはじめとした企業。揮毫は東郷平八郎元帥。

 Yagiさんがマヌケのアベマリアと教えてくださった「アベリア」がそこここに。心いれかえ注目の対象とした。


主宰者から拝借

神戸電鉄敷設工事に伴う朝鮮労働者の犠牲者への慰霊碑を見学。その後、歩きながらYagiさんから興味深い話をお聞きした。ヒナキョウソウ(ビーナスの姿見)、ナンキンハゼの繁殖戦略、ヤマコウバシの雌株ことなど。 

湊川隧道に立ち寄る。その後、東山商店街に向う右側の川の流れが海の方から流れているように思え「はてな」だった。北東に向かってでなく南に向かっていると錯覚していたからと帰宅後わかり謎がとけた。

古湊川、旧湊川、新湊川と湊川は変遷している。次のimgで再確認。


東山商店街でショッピングを楽しむ。するめを買う人を眺めつつ、私は落花生をみっけ!

兵庫区役所前で解散。雨に降られることもなく楽しいランブリングができました。




























【情報編】

聖徳太子騎馬像のことは「兵庫区今昔まちかど史」

牧野富太郎の植物研究所跡のこと

平業盛のこと

スダジイのこと

アベリアの実の色や形を楽む人

殻斗の色々(ブナ科22種のドングリ情報)

花の構造と名称

花に色々なタイプがある

ヒナキョウソウ(ビーナスの姿見)のこと

ナンキンハゼの繁殖戦略

ヤマコウバシの雌株のこと

湊川隧道のこと

今日のコースの主要ポイントが説明されている


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