追憶の「世界文化遺産貢献の森林」

 昨年、日本森林療法協会のフォーラムがありました。その時、鎌田東二先生に案内していただいて歩いたことを思い出しながらのランブリング。伝統文化を支える森のところどころシイが伐採され明るい森が出現。シイが繁茂する暗い森も暑さを凌ぐのに悪くはない。狙い目の朽木置き場で変形菌はほぼ見つからず。

清閑寺⇒清水山⇒東山山頂公園⇒尊勝寺⇒東山駅
820分出発、1120分ゴール。

脇目の成果:モンキアゲハ、ヒメウラナミジャノメ。ウスノキ、カキドオシ、ウワミズザクラ。ヤブミョウガ。キジノオシダ、ヌリトラノオ。キノコ。ツノホコリ、マメホコリ、ムラサキホコリ。etc.。

山号は「歌の中山」

小督の局も高倉天皇の傍ら

飛べば紋が鮮やか

将来の大径木

ツノホコリの仲間

市街がギラギラ

ウスノキ

棘の大きいアリドオシ

胞子葉も立つキジノオシダ



ヤブミョウガ

マメホコリ

キノコでしょう

ムラサキホコリ

サトキマダラヒカゲ

ウワミズザクラ


ムラサキホコリ


ヌリトラノオ

尊勝院

尊勝院のモミジの巨木

キノコのはず

【小督の局と清閑寺】引用先

小督局は平清盛の次女で、高倉天皇の中宮・徳子(建礼門院)に使える女官でしたが、やがて高倉天皇に寵愛されるようになりました。

実は、それまでは平清盛の長女の婿にあたる冷泉大納言・隆房と恋仲にあり、婿2人を取られたことに怒った平清盛は小督局を宮中から追い出そうとします。

高倉天皇に迷惑がかかることを恐れた彼女は、一度は嵯峨野の山奥に隠れますが、天皇の側近仲国によって見つけ出され、再び天皇と宮中でしのび逢う日々が始まります。そして、後に坊門院範子と呼ばれる範子内親王を産むことに。

しかし、徳子よりも先に子供を産んだ小督局は、清盛の大きな怒りに触れ、ついに宮中を追放され、清閑寺で尼にさせられたのです。高倉天皇は深く心を痛め、養和元年(281年)、21歳の若さでこの世を去り、「小督のもとで葬ってほしい」という遺言通り、清閑寺で葬儀が行われ、この寺に埋葬されました。清閑寺の背後の山には高倉天皇とその前の代の六條天皇の御陵があり、その傍らには小督局のお墓が建てられています。

高倉天皇のこと


----おまけ----
家のすぐ近くにて


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